医薬品に関する教育はなぜ重要なのか

鬼頭 英明 先生
法政大学スポーツ健康学部教授

感染症との闘い

 新型コロナウイルス感染症の拡がりは、もはや全世界を席巻する深刻な事態となっています。歴史を振り返れば、人類はヨーロッパを何度となく覆い尽くしたペストや世界中に拡がったスペインインフルエンザなど、幾多の感染症を経験し悩まされてきました。医療技術が格段に進んだ現代では、人類の健康を脅かすのは「がん」を代表とする生活習慣病(NCD)となり、日本では生活習慣病対策に軸足がおかれています。一方で、発展途上国では依然として感染症が人々の健康を脅かす大きな要因となっています。先進国と発展途上国の二極化傾向は、残念ながら全世界の人々に健康を呼び込むにはいまだほど遠い状況となっています。WHOはこれまで、天然痘の根絶に成功し、ポリオの排絶もまもなく達成できるところまで進めてきました。WHO憲章によれば、Unequal development in different countries in the promotion of health and control of disease, especially communicable disease, is a common danger.(健康増進や感染症対策の進み具合が国によって異なると、すべての国に共通して危険が及ぶことになります。(日本WHO協会仮訳による))とあります。感染症の問題が一つの国にとどまることはありません。SARSの脅威が起きたのは2002~2003年でした。世界で沈静化に至るのに半年ほどの歳月を要しました。その後、中東呼吸器熱(MERS)が拡がりましたが、日本ではいずれも国内で感染は確認されませんでした。2019年に武漢から始まった新型コロナウイルス感染症は、WHOが2020年3月にパンデミックを宣言し、今後どのくらい続くのか誰も先が見えない状況となっています。解決の糸口は医療であり、特に急がれているのはワクチンや抗ウイルス薬の開発です。アビガン、シクレソニドやフサンなどの治療候補薬の臨床試験などが世界中で急速に進みつつあり、これらの医薬品の一刻も早い活用が期待されるところです。

医薬品の正しい理解

 医薬品は、我々が健康上の問題を抱えた場合に治療、予防、診断の目的で使用するものです。医薬品開発は、疾病克服への道を絶えず切り拓いてきました。臨床試験を通じて、治療候補薬の有効性と安全性が認められ、臨床応用されるようになります。人の命を救う医薬品とは何か、理解を深められる時期なのかもしれません。大きな健康課題に直面するとき、往々にして怪しげな健康食品や偽薬が、情報化社会の波に乗って横行しますが、今回も例外ではありません。科学的根拠に基づかない不確かな情報に惑わされ、逆に健康上のリスクを抱えてしまうことも少なくありません。抗生物質など感染症を克服するために果たしてきた「医薬品の役割」やさらなる今後への期待を込めた「医薬品の正しい理解」を深める教育の重要性が増してきています。

学習指導要領にみる「医薬品」の教育

 さて、平成21年度に学習指導要領の改訂が行われ、中学校保健体育科保健分野では、新たに「医薬品に関する指導」が学習内容として位置付けられました。また、高等学校保健体育科科目保健においては、さらに内容の充実が図られました。この意図は、従来の教育では、「医薬品の正しい使い方」に関する理解ができておらず、特に保護者が「医薬品の正しい使い方」を子供に伝えられないことにありました。この改訂された学習指導要領に基づいて保健の授業を受けてきた大学生は、中・高等学校において「医薬品の正しい使い方」を学んできているはずです。しかしながら、医薬品の正しい使い方などの認識は依然として十分ではないような印象を受けます。そもそも多くの若者は、中高年と比較して実生活において医薬品を使う場面が少ないことなど、学んだ知識が活かしきれていないことが背景にあるように感じられます。平成28年には中央教育審議会答申が出され、「生きる力」をより具体化し、教育課程全体を通して育成を目指す資質・能力を「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」、「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成)」、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」の三つの柱に整理することとされました。子供たちが教育で学んだ知識を実社会で活かすことができる力を身に付けることと捉えられます。答申を踏まえ、平成29年には学習指導要領が改訂されました。

 医薬品については、中学校では、「保健・医療機関や医薬品の有効活用」から、「健康を守る社会の取組」において取り扱うこととなりましたが、医薬品の「知識」に関する内容は従来と変更はありません。また、高等学校においては、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(医薬品医療機器法、旧薬事法)の改正に伴い、要指導医薬品が盛り込まれています。

医薬品に関する教育の課題と対応

 保健体育科における指導は、保健体育科教諭が年間計画に基づき単元計画を立てて行うとともに、成績評価にもつなげる必要があります。一方で、医薬品に関する指導内容は、特に高等学校では内容が豊富で、高度になっていることから自信をもって指導するには困難を伴うことも予想されます。したがって、(公財)日本学校保健会は、これまでも実践事例集を作成してきましたが、平成31年3月に、小・中・高等学校での実践事例集を作成し、学校に配布しました。

 「医薬品」に関する教育は、保健体育科のみならず、特別活動、総合的な学習(探求)の時間など、様々な教科・領域において指導することもありうることから、「子供たちの実態」、「何が学ばせたいか」、「学習を通して期待する子供たちの姿」を踏まえ、養護教諭や学校薬剤師によるサポートが効果的であろうと考えられます。

 本来の教育の目的は、得た知識が生涯を通じて「行動」に活かすことができ、保護者として正しい知識を子どもに伝える力を付けることです。基本的な理念のもとに、現場で効果的な指導が実施されることを切に願うものです。


プロフィール

鬼頭 英明
法政大学スポーツ健康学部教授

【略 歴】
1954年7月、岐阜薬科大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。
1984年岐阜薬科大学において薬学博士を取得。同大学の助手、助教授を経て、1998年文部科学省体育局教科調査官、2001年スポーツ青少年局学校健康教育課健康教育調査官。
2007年兵庫教育大学大学院教授、2016年4月より現職。専門領域は喫煙、飲酒、薬物乱用防止教育をはじめとする健康教育、学校環境衛生等の環境管理。